今日は記述問題について書こうと思います。
受験で、記述が多い学校を志望校としている生徒様を指導している中で、親御様から「できるだけ、子どもの書いたものを活かして採点してください。志望校の先生もそうおっしゃっていましたから。」という注文をいただきます。
様々な問題を解いていく中で、記述問題が増えてきたのは事実です。また、読ませて、考えて自分の意見を述べさせるという学校も増えてきたように感じています。
そこで、記述の特訓をするわけです。
しかし、大前提となる、文章作成における基礎ができていない生徒様の記述を、
そのまま生かすというのは、すぐにはできません。
まずは、文章作成における、書き方、文章全体の構成の立て方などの基本を覚えて
もらうのが先です。
途中、大変もどかしく感じる生徒様が大半です。
なぜなら、今まで書いた文章を直してもらった経験はほんのわずかです。
集団塾では、大ざっぱな採点しかできません。それは、個別指導でないため、解答と見比べて採点していく中で、教える側も文章を読むのは時間がかかります。
ましてや、その生徒さまの思考や、書き方のスタイルなどをつかんでいる暇などないのが実情です。
また、生徒様が夏休みの宿題等で書いてきた文章を軌道修正されてきていなかった
場合はなおさらです。
なぜか、タメだしはいけない、というような風潮も後押ししているかもしれません。
傾向として多いのは、主語の脱落です。
日常生活において、主語がなくとも会話が成立していれば、主語を意識することはありません。また、わざわざ主語を入れることで、話をしたいことがら、その一文が長くなり、会話の中で、「だから、何が言いたいの?」というバトル勃発は仲が良いほどあるあるなのです。
そんなことはお互い言われたくないので、ますます主語の脱落が当たり前になってしまうという、国語としては悲しい結果になってしまうのです。
記述の指導の中で、当然、その生徒様が持ち得ている語彙を使って、書くことができるようにするのが一番の早道ではありますが、そもそもの語彙が少ない場合は、その都度、言い換え方、新たな語彙を教えながら進めます。
普段から読書をしているお子様は、意味はよくわからないけれど、「聞いたことがある」「知っている」という語彙は、いよいよ今まで使ったことのなかった語彙の出番がやってくるわけです。その意味で、読書はとても大切です。
さらに、一度書いた文章を書き直すのを面倒くさいと思う生徒様も増えてきました。
一度書いたのに、なぜもう一度書かないといけないの?
それよりも、別の問題を解いてみたい
これが本音でしょう。
実際に、書き直すことで、自分の書いた文章を自分で受け入れる、理解するということがやっとできるのです。そうすること、何がおかしいのか、何が不足しているのかを読み直すこと以上に気づきは多いのです。
その気づきを得るまでは、どんなに多くの問題を解いても、改善されません。
生徒様本人の自覚、理解があって、より良い文章、説得できる文章へと文章の質が向上していくのです。
同じテーマで、何度も書いてみるとか、一度書いた文章を自分で書き直すという作業は質の向上には欠かせないのです。