気持ちがわからないのではなく、人情を知らないから。。

みなさん、こんにちは。

久しぶりの投稿です。
 以前、国語指導の中で、「人の気持ちがわからない」ということについて書きました。

先日、某大手塾の特訓問題を添削していて、思わず涙した物語がありました。

簡略していうと。。。

 祭りの夜、雑貨屋(こまものや)でくしを買おうと思って選んでいた時に、こまものやにどろぼうが入ります。

こまものやのおじさんは、「どろぼう!」と言って追いかけ、人だかりはおじさんを追うように動きます。
おじさんは、どろぼうを捕まえられずに「ちくしょう」と言って戻ってきたのでした。その様子をそのにぎやかさから離れ、大きな杉の木の下で、起こったことを思い出していると、そばで「ふうふう」という息切れが聞こえました。そっとふりかえると、こまものやのどろぼうだったのです。
それは、小学3年位の男の子でした。

そこに、小学6年の男子がやってきて、「お前がぬすんだんだな」といい、「俺が買ってやるからぬすむんじゃない」といって、謝りに行きます。

おじさんは、一度は盗んだこどもを叱りますが、お代はいただいているので、機嫌を直して、「そんな小さなムシメガネでいいのかい?」「もっと大きなものと交換してあげようか」とまでやさしく声をかけてくれました。
主人公の私は、自分のくしを買うことを忘れ、一部始終を追いかけていたのでした。
おじさんのやさしさに私は感激します。

(読んでいた私も、涙がこぼれそうになりました。)

その後、小学3年位の男の子と小学6年の男の子は大きな杉の木の下に行きます。そして、小学6年の男の子は小学3年位の男の子のほっぺたをたたきます。この時、小学3年位の男の子は泣きませんでした。
(盗むことは悪いことと知っていながら、どうしても欲しかったのでしょうね。でも、いけないことをしたわけですから、罰を受けるわけで、ここでは自省もこめ泣かないわけです。)

その後、小学6年の男の子が「いいかい、約束だぞ」といって、自分のほっぺたを大きくたたきます。そして、小学3年ぐらいの男の子はしくしくと泣きなしました。

(再び、涙がこぼれそうになりました。)

ざっと、こんな話だったわけですが、今どきの小学生は、どうして泣くのかわからない、人情を読みとることができないから、当然解答も中途半端な記述になってしまうわけです。

口げんか程度はあるかもしれませんが、そりが合わない人とは別に友達にならなくてもいいや、程度に考えているようです。

そうですね、今どき、〇〇ハラスメントなど、本当の原因、起因などの追求よりも、当たり障りなく、関わらないでおこうという気持ちが大きいので、問題の本質をつかむことが苦手だったり、あるいは、それ以上追求してはいけないかも思ったと、勝手に自己判断をしている子どもが増えたように思います。
もちろん、大人も同様です。

法に触れなければ何をやってもよいわけではありませんが、そもそも、その隙間をかいくぐって、最後は、自分さえよければ結果オーライ的な人が増えているような気もします。

人も気持ちが分からないのではなく、そもそも人としての情けを知らずに大人になっている人が増えているのだと思います。

 涙なしではは読めない小説って結構あると思いますが、そんな小説は今どきは流行らないだろうし、「何?それ?」ってスルーされて終わってしまうのでしょう。

 なんだか、だんだんと殺伐とした世の中、殺伐さの深さが増してきているように思う今日この頃です。